ホテル・ニューグランドの二階へぜひ(10月29日)
誕生日は結局、野毛の中華料理屋で炒飯と烏龍茶、追加で麻婆豆腐。ノンアルコールの白ワインで小さくお祝い。まだ胃潰瘍の最終検査前なので、アルコールは出来るだけ飲まなようにしている。二十代の頃、周りが、いい会社に入りたい、出世したい、起業したい、と言っていたとき、本気で「心から働きたくない」とだけ思っていた。最低限暮らしていければそれでいいから諸々勘弁してくれないだろうか、と日本政府に訴えたかった。別になにが欲しいわけでもないし、誰かと比較して幸せをしみじみ実感するタイプでもない。一度、エクレア工場で働いたとき、あまりに自分にしっくりきて、このままでは日々が溶けて、一生ここで終わってしまう、と思った。終わって別にいいのだが、二十代の前半で、このしっくり感はマズいという最後の自覚だけはあった。もう少し世界を見てからここに帰ってこよう、と思ったのを憶えている。多分、その寄り道をいまもずっとつづけている。帰るべきエクレア工場は、もう閉鎖されてなくなっしまったが、それらしき場所に、いつか自分は帰る気がしている。寄り道に寄り道が重なって、五十二歳になってしまった。いろいろなアルバイトをして、そのあとテレビの美術制作を二十年ちょっとやって、物書きになり、いろいろ巡って巡って、野毛の中華料理屋にたどり着いた。炒飯と烏龍茶、追加で麻婆豆腐が残った。
四川風麻婆豆腐、舐めてた……。このあと胃をやられました。炒飯は美味し、ちょっとお酢をかけて食べるのが好み
そのあと、元町中華街まで移動。山下公園の近くのビジネスホテルを予約。朝、窓を開けたら、山下公園が見えていたら嬉しいな、と思ったから。ホテルニューグランドに泊まりたかったが、突発的に泊まれるような金額じゃなかった。
朝、カーテンを開けると、青空で、山下公園がきれい見えた。チェックアウトして、マクドナルドでコーヒーを買って、山下公園のベンチに座りながら、しばらくぼんやりしていた。コロナ禍は、よく山下公園近くのビジネスホテルに泊まって過ごした(そのときは一泊、四千円とか五千円とか)。そのときもコーヒーを買って、山下公園のベンチに座って、これから世の中はどーなるんだろう? とか思っていた。山下公園にはいくつもの花壇がある。たくさんの種類の草花が、花や実をつけている。ゆっくり空気を吸い込むと、植物の匂いがする。海の匂い。土の匂いもした。氷川丸の汽笛がときどき鳴る。ランニングしているおじいさんが、通り過ぎるたびに小さく会釈をしてくれた。