それは奇跡、まである(11月21日)
朝、父からメールが届く。
入院の保証人になってもらいたい、とのこと。諸々承知して、すぐに連絡を返した。半日、手術に向けての検査などもするらしい。母の病院は父の代わりに、妹が付き添うことになった。妹に、「付き添えず、すみません」という旨のメールを入れる。妹からの返信には、母の現状が詳しく記されていた。肺炎が治っていないこと、頭部のMRIで腫瘍が見つかったこと、その腫瘍の影響なのか、ときどき勝手に体がガクガク震えることがあること、肺へのがんの転移などなど。
いま、どれほど母が怖がっているだろうかと思うと、ため息をつくことしかできない。母ほど怖がりの人を知らない。新しいことがとにかく苦手で、祖母が行っていた美容室にずっと通っている(美容師さんも高齢で、母が行くときだけ店を開けてくれる)。パスタの味は、ミートソースとナポリタンしか基本食べない。ジェノベーゼなどは知らないからこわいのだ。おでんをおかずにご飯を食べることが好き。そのおでんだねも同じ店の同じものだけをずっと買っている。五十年以上同じマンションに住み、旅行などはあまり行かない。ものを捨てるのが苦手で、家中もので溢れかえっている。様々な紙袋、箱に入ったままのタオルセット、食器セット。お菓子の箱。誰かからもらった人形、ぬいぐるみ。冷蔵庫にはたくさんのマグネットが貼ってある。生命保険会社からもらったり、近くのスーパーからもらってきたカレンダーも、壁という壁に貼ってある。服も祖母から昔もらったものをそのまま着ていることが多い。昔からあるもの、昔から変わらないものに囲まれていると安心するのかもしれない。安心するんだと思う。生活のリズムを変えるのが苦手で、自分のことを話すのが苦手。そんな人が、毎日のように検査をして、更新されるこわい現実を伝えられているかと思うと言葉もない。
ちょうど病院にいる時間で、電話には出れないだろうと思いつつ、一度母に電話を入れた。ワンコールで出た。「いま病院。寒いわよ今日。暖かくしてるの? 身体大切にしなさいよ。切るわよ」と言われ、こちらは「ああ」と言っただけで、すぐに切れた。
母との数秒の電話のあと、しばらく歩いて、とある打ち合わせのため、関内の文明堂茶館『ル・カフェ』に入った。店内奥のステンドグラスが美しい。先方に「日記読んでますよ。お母さま大丈夫ですか?」と気遣っていただく。日記はどこまで本当のことを書けばいいのか、まだ悩んでいる。仕事仲間、クライアントに、余計な気遣い、迷惑をかけてしまいそうで難しい。悩みながらも、またいろいろと書いてしまった。
文明堂茶館『ル・カフェ』 のステンドグラス
夕方、渋谷、喫茶ルノアールで打ち合わせ。