「パンツの替えとか持ってない?」底なしの出会い#02
人生で一度、カンニングがバレたことがある。数学のテストのときに、前の席の椅子の背もたれ部分に、数学の公式をいくつか薄く鉛筆で書いた。チラチラと椅子を見る僕の様子を、担任教師がしっかりチェックしていたことに、僕はまったく気づかなかった。
チャイムが鳴り、テストが回収されたあと、「おい、このあと職員室まで来い」と担任教師は睨みつけられながら僕に言う。人生が終わったと思った。中学二年の春だった。
僕たちの教室は三階にあったので、窓から飛び降りて死んだほうが楽なんじゃないか? と、咄嗟に考えたくらい、頭が真っ白になった。このあと、担任教師に怒鳴られ、クラスメイトに知られ、親に呆れられ、高校進学断念。そんな最悪の妄想が、頭の中を支配していく。そんな目に遭うくらいなら、いま死んだほうがいい、そう思った。中学二年くらいの年だと、死ぬ動機としては十分だ。
正直、本当に窓のほうに歩きかけた。そのとき、友人Mが「ごめん、ちょっとだけウンコ漏らしちゃってさ、パンツの替えとか持ってない?」と、多少照れ笑いを浮かべながらヒソヒソ声で訊いてきた。こっちが真剣に死ぬか生きるかを考えているときに、ウンコを漏らした男に小声で話しかけられたことはあるだろうか? 普通ない。僕はある(知ってる)。
思い詰めていた顔面蒼白の僕を見たMは、「お、おい。お前、顔色悪いけど大丈夫か?」と訊いてくる。ウンコ漏らしに心配される、という経験もなかなかにレアだと思う。ほどなくして、他の生徒たちが、「なんか臭くない?」と口々に言い出す。Mは慎重に、でも出来るだけ足早に、教室から出て行った。Mが無駄に声をかけてくれて、一拍置けたことにより、僕は多少落ち着きを取り戻した。
そのあと職員室まで行くと、怒り心頭の担任教師が待っていた。「やったな。わかるな? 先生がなにを言っているのか」舌打ちをしながら、僕のことを睨みつける担任教師。「すみませんでした……」僕にはもうその言葉しか残っていない。
「いいか、お前。カンニングしたことを、これから一生の傷として、後悔しながら生きていくことになるんだぞ! そういう根本的なことがお前はまったくわかってない!」
職員室中に響き渡る怒鳴り声の中、僕はただただ謝りつづけた。
あれから三十年以上の時が流れた。あの日、ウンコを漏らしたMとは、いまでも二、三ヶ月に一度飲みに行く仲だ。この間飲んだとき、彼にあの日のことを覚えているか、尋ねてみた。
「それ何回目のウンコのとき? あの頃、何度かウンコ漏らしててさ……。自慢じゃないけど、腹が弱かったんだよなあ」正真正銘、自慢じゃない話を、Mは懐かしげに語る。きっと知らないところで、彼の肛門以外の、人としてのユルさに救われている人も多いことだろう。