まだ雨が降っていた(10月26日)
渋谷のカフェで、胸元に「バイトリーダー」のバッジを付けた年配の女性が、もっと年配の男性アルバイト(といっても、たぶん自分より年下)を烈火のごとく叱りつけていた。その声が店内によく通るものだから、だんだんこっちまで怒られているような気持ちになってしまった。
最近、もうあまり叱られたくないなあ、と思っていたからか、なんか「ウッ」となった。
テレビの美術制作をしていた頃のメモ用紙が、デスクの引き出しから出てきた。しばらく見入ってしまった。書き込みを追っていると、当時の自分が、かなり悪戦苦闘していたことがわかる。いつもギリギリでやっていた。
イラストレーターもフォトショップも、たいして使いこなせないのに、わかっているふうを装って仕事をしていた。……それも二十一年も。そりゃ、睡眠不足にもなるし、過呼吸にもなる。「明日やだなあ……」が口癖だった。死にたい、とか軽々しくよく言っていた。
よくごまかしながら頑張っていたなあ、と、昔の自分にしみじみしてしまった。「ごまかす」というのも、社会人には相当必要なスキルのような気がしている。
「死にたい」と電話をして、「私も」と言ってくれる人が昔いた。あれは救いだったな、といま思う。その人と結局一度も会うことはなかった。
とある亡くなった方へのコメントとコラムの間くらいの原稿を頼まれた。丁重にお断りさせてもらった。自分などは触れてはいけないし、触れたらまた事故ること確実だ。
以前、とある(「とある」ばかりで申し訳ない)バンドへのコメントを迂闊に引き受けたら、古参のファンの方々から「お前がコメント出してんじゃねえよ!」とやじられ、自称音楽通のような方々からは冷笑された。
「いや、頼まれたんで……」と返したかったが、「もっと俯瞰で見たら、自分がふさわしくないことくらいわかるだろ!」ということらしかった。わかる。わかるが、自分も好きだったんです、と食い下がりたくもなった。でも、それもきっと、「お前と俺らじゃ、好きの深さが違う」ということなのだろう。
そうやって敷居を高くすることが、全方位儲からない、を作るんじゃないのか? とも思ったが、百言い返されそうだったので、のみ込んだ。それ以来、触れた途端にやじが飛んできそうな仕事は、できるだけ断っている。好きだというだけでは、近づけない場所もある。場所ばっかりだ。
とある(またか)女性アイドルが、雑誌で『すべて忘れてしまうから』を愛読書として紹介してくれたことがあった。すると、そのファンの方々から、「近づくな」「自分がおっさんだという自覚を持て」といったメッセージが、Xに二十通ほど届いた。多分もっときた。近づいていない。おっさんだという自覚は日夜体感している。あのときも不条理だった。のちに、対談の話がきたが、断るくらい不条理な言いがかりだった。

沖縄のホテル前にあった看板。
夜十時には、いつの間にか眠っていた。一度、午前三時に目が覚めたが、もう今日はこのまま寝てしまおうと思い、そのまま横になっていたら眠っていた。眠るまで雨の音を聞いていた。
夢を見た。久しぶりに母の夢を見た。実家だった。小学生くらいの自分は、居間のソファの上で、だらっとしている。夕方だった。母は、夕飯の準備をしていた。台所に立っている、母の後ろ姿が見える。それを見て、自分は安心している。