「実は奥さんと別れた」底なしの出会い#10
最近またツラい。なにかトラブったとか、特別ストレスフルというわけではない。どちらかといえば、至って順調だ。それでも胸の辺りが痒くなるような感覚に襲われるときがある。背中に汗がじんわりと滲む。将来に対する不安も、じわじわ心を蝕む。
こういう漠然とした悩みは通常、心療内科か友人に相談すべきなのはわかっている。わかってはいるが、最近、自分のことを包み隠さず言える相手は、代々木の中華料理屋の店主だけだ。
代々木の中華料理屋の店主に包み隠さず言える理由は、「誰よりも暇そうなところ」かもしれない。
僕と同年代くらいだと、だいたい子供の受験や住宅ローン、仕事のノルマなどに忙殺されている人が多い。以前はよくだべっていた友人も、今ではときどき来るメールが、「ボーナスが減って、住宅ローンが厳しい」「長女の受験を控えていて、面接の練習が憂鬱だ」などなど。眺めているだけでも疲れが倍になる。
こちらの相談などを挟む余地などまったくない。みんな、年相応の根拠のある悩みに囲まれ、身動きが取れなくなっているように見受けられる。
そうなってくると僕の細やかな悩みの相談相手は、いつ行っても客がほぼいない、代々木の中華料理屋の店主一択になる。
関係ないが、店主の作る焼きそばがすこぶる旨い。百名店に選ばれていない理由がわからない。食べログの数字も低調気味だが、僕ミシュラン的には、星三つで間違いない。
混んでいない店に、週三回行くと、イヤでも会話が生まれる。「ああ、いつもどうも」「ああ、どうも」最初はそのくらい多少だった。
それがだんだんお互い身の上話をするようになり、取り留めもない会話になり、最終的には人生相談をする仲になった。あらゆることを相談できる理由は、僕の知り合い誰とも繋がっていない、ということもある。
週三、ほぼ焼きそばを食べながら、最近の悩みや通年の悩みを語り合って過ごす。話したところで悩みの大半は解決しないが、話すとだいぶ溜飲は下がる。一旦置ける。
店主とは、親友という感じでもない。しっかりよそよそしい。厨房とカウンターの隔たりは、お互い大切に保つことにしている。ただ、他人にしてはよく会うし(勝手に日々通っているだけだが)、気も合う。信頼できる他人なのだ。
店主が、「実は奥さんと別れた」と告白してくれたときは、箸で掴んだ焼きそばが冷たくなるくらいまで、思っていること全部をふたりして話し合った。その距離感の相手と知り合うことは、親友を作ることと同じくらい難しい気がする。