また明日(1月30日)
深夜一時過ぎ。「お母さんが危険な状態だ」と父からメールが入った。そのとき、渋谷道玄坂のコンビニにいた。すぐにタクシーをつかまえ、母が入院している総合病院へ向かった。父は、妹と一緒に来るとのこと。タクシーの運転手が道に詳しい人で、事情を話すと、最短で行きます、と言ってくれた。
病院に着いて、救急の入口から入り、エレベーターで七階の母の病室に向かう。廊下で看護師さんに呼び止められ、名前を名乗ると、母の呼吸と心臓がもう止まっています、と伝えられた。病室のドアを開けると、父の姿も妹の姿もない。酸素の機械の音だけが聞こえていた。あとから来た看護師に、「まだ、手は温かいです」と告げられる。父は横浜の実家からだったが、妹の到着を待っていたみたいで、着くのはそれから十五分後だった。病室には、酸素マスクをまだ付けたままの母が横たわっていた。ひとりで寂しくさせてしまって申し訳なかった、と思いながら手を触って、肩を触った。昼間の面会のときに、母の両手にハンドクリームを塗ってあげていたので、手はすべすべしている。本当にまだ少し温かかった。ハンドクリームを塗ってあげているとき、母は「疲れた」といつになく弱気なことを言っていた。そうだよね、とそのときは返した。
昨日も一本、このレターで更新している『底なしの出会い』に、母の原稿を書いた。早めに出しましょう、と編集者が言ってくれていたところだった。母のことを、これまでも何度もエッセイに書いてきた。病気のことも、昔の親子の会話も、あらかた書いてしまった。こうだったらよかったなあ、という想像で書いてしまったことすらあった。どんなことを書いても、母は喜んで読んでくれた。喜んで読んでくれることを知っていたから、どんなことでも平気で書けた。がんは全身に転移していたが、母が亡くなることに、最後まで現実感を持てなかった。変な話だが、これからもずっと、母のことを書いたら必ず読んでくれるような気がしている。オカルトの話でも、エモーショナルなことを言いたいのでもなく、本当に、ただただこれからも母が、自分が書いた、本当も嘘も大袈裟も全部読む気がしてならない。正直いまこの瞬間も、いまいち腑に落ちていない。母がこの世界からいなくなってしまったことが、いまいち納得できないでいる。妙に嘘っぽい。このまま、腑に落ちないままなのかもしれない。昨日の昼過ぎ、「明日はラジオね」と母は酸素マスク越しに微笑みながら言ってくれた。その人がこの世界からもういないということが、どーにも腑に落ちない。どーにも腑に落ちないのだ。昼間、病室をあとにするとき、母に向かって、じゃあ帰るね、また明日、と告げた。母がゆっくり手招きをするので、近寄り耳を傾けると、「寒いから暖かくしなさい」とささやく。母が亡くなった時刻は、一月三十日の午前二時十九分だった。
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