「おっ、同志」底なしの出会い#21

人生を先取りしてその先に何があるのか
燃え殻 2026.04.02
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最近、めっきり満員電車に乗っていない。ものを書く仕事は、大して儲からないが、ひとつ明確に良かったことは、朝の満員電車に乗らないでよくなったことだ。

僕の友人は、満員電車がイヤだ、という理由で東京を去った。現在彼は、島根の実家で家業を継いで穏やかに働いている。人の人生を、ときに変えるほど、満員電車は苦痛なものだ。

いつかの東京都知事選挙で、「満員電車ゼロ」を公約に入れた候補者がいた。それも当選までした。もちろん公約は守られなかったが、それほどに全員の関心事、懸念事項なのだと思った。

ときどきキチッとした制服を着た、私立の小学生の子が、サラリーマンや社会人に混じって、満員電車に乗っているのを見かけることがある。身長は、大人のお尻くらいまでしかない。ただでさえおしくらまんじゅう状態の朝の車内で、大人たちに押しつぶされぬよう、一生懸命、自分の場所を確保しながら乗る姿は、さながらこの国で生きていくための、英才教育を受けているかのようだ。器用に本などを読んでいる、頭の良さそうな子もいる。

僕が小学校の低学年くらいのときは、ひとりで電車移動さえしたことがなかった。そんなに人生を先取りして生きてしまって、一体その先になにがあるというのか? などと、余計なお世話と分かっていながら、ひと言言いたくなってしまう。

僕は二十年とちょっとの期間、横浜から朝の満員電車に乗って、東京の職場まで通っていた。ときどき、どうしても足が向かず、途中下車して、上りから下りに乗り換え、サボってしまうこともあった。そういうときは、行き先を決めず、ふらっとどこかの駅で降りることにしていた。

出来るだけいい加減に振る舞ったほうがいい日だった。知らない駅で降りて、北口にするか南口にするか、気分で決め、自ら迷子になってみる。おかしなもので、テキトーに右に曲がって、しばらく真っ直ぐ進んで、左に入った先が、前にサボったときと同じ公園だった、ということがある。当てずっぽうのはずが、いつかの自分が歩いた道をたどってしまっていた。

その公園には、タコの形をした大きな滑り台があった。その日は春で、朗らかな天気だった。公園のところどころに、名前も知らない薄紫の小さな花が咲いていた。僕は暑くなって上着を脱ぐ。公園にブランコは二台あって、まだ若いサラリーマン風の男が、その一台に座って、ひとりゆらゆらと揺れていた。

「おっ、同志!」僕は嬉しくなりつつ、いくつかあるベンチのひとつに腰掛ける。カバンから水筒を取り出し、朝淹れたばかりの熱いほうじ茶を、コップに注いで一口飲んでみる。五臓六腑に熱湯が沁み渡り、フーッと今日初めて深くゆっくりと呼吸が出来た。

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